兵庫県は姫路城の城下町でつくられています。
姫路市の伝統工芸として有名です。
「明珍」は人の名前です。約800年間つづくお家柄。
明珍家の由来は1150年ごろに近衛天皇に献上した武具を「音響朗々光り明白にして玉の如く類稀なる珍器なり」と賞賛され明珍の姓を賜ったと伝えられます。
平安時代には甲冑師として、江戸時代には火箸で全国に知れ渡りました。
しかし近年、囲炉裏が減ったこともあり火箸の出番も少なくなりました。
そして、52代明珍宗理氏が火箸の風鈴を完成させました。
世界的にも愛好家も多く、富田勲やスティービーワンダーの演奏で利用されたこともあります。
明珍火箸風鈴は深い響きが持続して鳴るので、風鈴コンサートでもメインで使用しています。
そして数々の風鈴CDの楽曲にも入るレギュラーなのです。
スティービー・ワンダーも絶賛した「明珍火箸」の風鈴…鉄からチタン製に職人の挑戦
チリーン、チリーン-。心地よい澄んだ音色が町家に響く。兵庫県姫路市の「明珍(みょうちん)本舗」の火箸(ひばし)風鈴は、かすかな風でも4本の鉄火箸がふれ合い、涼をもたらす柔らかい音色を生み出す。
考案者で当主の明珍宗理(むねみち)さん(73)から技術を引き継ぐ三男の敬三さん(39)は、鉄より響きが広がるチタン製火箸風鈴の開発に挑戦している。納得できる品質にまでこぎつけ、来年から本格販売を始める予定だ。「時代にマッチした新製品を」。技術と明珍の名前を残すため、新たな時代を切り開く。
工房では、宗理さんと敬三さんが黙々と、真っ赤に染まった鉄の棒を鎚(つち)で打ち続ける。15~20センチほどの鉄の棒を加熱してはたたく、その繰り返し。すべてが手作業で、座って鉄を鍛錬(たんれん)する作業は重労働だ。
「体力的に非常にきつい仕事。これからは息子たちの時代」と宗理さん。18歳でこの世界に入り、一度は廃業の危機に追い込まれた。昭和30年代にストーブが普及し、生活必需品だった火箸の需要が激減したのだ。42年に「冬の火箸を夏に風鈴にしたら売れるのでは」と発想を転換。再び家業を軌道に乗せた。
宗理さんの火箸風鈴はシンセサイザー奏者の冨田勲さんが演奏で使ったことで世界に注目された。米歌手のスティービー・ワンダーが「近くで響いているのに遠くで響いているように聞こえる東洋の神秘の音色」と語ったことで、さらに評価が高まった。
敬三さんは大学卒業後、父のもとで修業し、技術を習得。宗理さんも「一人前の職人になった」と認める。
だが、敬三さんは満足していない。「世の中はものすごいスピードで変化している。新しいものを作り出さないと生き残れない」。
そこで昨年から取り組み始めたのがチタン製火箸の風鈴だ。宗理さんがかつて、チタン製の仏具お鈴(りん)を製作したのがヒントになった。チタン製お鈴の音は一度たたくと余韻が長く、鉄とは違った音感を楽しめる。
ところが、チタンは鉄を鍛錬する技術だけでは、満足な音が出ない。どうすれば理想の火箸ができるのか。敬三さんは昨年から鉄火箸製作の合間にチタン開発に挑んだ。
チタンは材料費が鉄の数倍と高額だが、軽くて硬く、さびないという特長がある。ただ焼いても早く冷めるので、鎚で打つ時間が短い。当然鍛錬する回数も増える。失敗は数百本に及んだ。
苦しい日々が続いたが火づくりや打ち方などでうまくいく手法が分かった。「やっていける段階になって充実感に満たされ、職人の醍醐味を味わえた」と敬三さんは振り返る。
さらに、チタン製火箸だけでなく、つり金具のデザインや振り子も次々と新しいものを考案し、火箸職人としての自信が高まっている。
チタン製火箸風鈴は100年以上も長持ちし、何世代にもわたって受け継がれる。宗理さんは「時代に合った新しいものを生み出す。職人はその繰り返しだ」。敬三さんも職人の系譜の重みを感じている。
「歴代明珍の伝統があって今の自分がいる。もっと精進したい」(勝田康三)
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明珍本舗 兵庫県姫路市伊伝居上之町112。
平安時代末期から鎧や兜を製作する甲冑師の家系で、武具を献上した近衛天皇から「音響朗々、光り明白にして玉の如く、類希なる珍器なり」の言葉が「明珍」の名前の由来とされる。
明治時代に生活必需品だった火箸作りを家業とした。
鉄火箸の風鈴は5千~3万5千円(税別)。
問い合わせは明珍本舗(電話079・222・5751)。
繊細で美しい音色は何時間でも聴いていられます。