認知症の人たちに、携帯プレーヤーで思い入れのある音楽を聴かせたら-。こんな実験を追った米ドキュメンタリー映画「パーソナル・ソング」が六日から、全国で順次公開される。作品は、ことしの米サンダンス映画祭で観客賞を受賞。スクリーンには、劇的な反応で生き生きとした表情を取り戻す男女が次々と登場する。音楽が持つ力とは。来日したマイケル・ロサト・ベネット監督(54)に聞いた。
認知症で十年もの間、施設でふさぎ込んでいた黒人男性のヘンリーさん(94)。自分や娘の名前も思い出せない。しかし、耳に当てられたヘッドホンからお気に入りのゴスペルが流れてくると、目を見張り、一瞬にして表情を輝かせる。曲に合わせて歌い、リズムを刻み、昔話を陽気に語り出した。「まるで魂が体に戻ったようだった」。これが初の長編映画作品となるベネット監督は振り返る。
NPOの活動記録などの撮影を手掛けていた監督が、老人ホームや病院で音楽療法を続けるソーシャルワーカーのダン・コーエンさんと出会ったのが制作のきっかけ。「それまで認知症などには全く関心がなかった」が、ヘンリーさんを相手にしたコーエンさんの実験を目の当たりにしたことで「この療法を世界に知らせたい」と思い立った。
その後、コーエンさんとともに三年間で数百人の認知症患者を取材し、作品には十人余の感動的な変化を収めた。高齢者だけでなく、重い若年性認知症の中年女性がロックの名曲を次々に聴くことで、軽快に街を散歩するまでに症状を改善させた様子も登場する。
ヘッドホンで音楽を聴くだけの単純な療法が、なぜこれほどの効果を挙げるのか。作中では、パーキンソン病の新薬をめぐる医師と患者の物語を描いた米映画「レナードの朝」の原作者オリバー・サックス医師が「音楽は脳の広い領域を刺激する。聴覚、視覚のほか認知症によるダメージが少ない感情や運動の領域も活性化させ、記憶をよみがえらせる」などと解説する。
本人にとって思い入れのある曲「パーソナル・ソング」を家族らから聞いた上で、ヘッドホンから直接耳に届けることが、特に効果的とみられている。
監督は「音楽の効果は神秘的なもの。無論、この療法に反応しない人もいるし、決定的な解決策ではないかもしれない」としながら「どれだけ効くか分からない向精神薬を患者に過剰に与えるより、数千円のプレーヤーに好きな音楽を入れて届けたい。少しでも症状が改善したらいい」と主張する。米国内では各州で臨床研究も進み、本年中には約千施設がこの療法を取り入れる予定という。監督らは、携帯プレーヤーを持って施設を訪ねるボランティアの広がりも期待する。
三重大病院音楽療法室の佐藤正之室長は「今後、療法が医療現場で広く受け入れられるためには、対象とすべき疾患や病態、節約できた薬の量などについて、定量的なデータを示していくことが必要だが、この映画は音楽の持つ可能性と効果を明示した」とコメントしている。
※「音楽の効果は神秘的なもの」と話すベネット監督=東京都中央区で